大切な家族に導かれるかのように生命保険営業に転じた、とある転職エピソード。

大切な家族に導かれるかのように生命保険営業に転じた、とある転職エピソード。
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佐藤 智洋(さとう ともひろ)さん
1977年生まれ。前職にて、紳士服販売のAOKIホールディングスに11年間勤務しました。傘下のORIHICA(オリヒカ)という業態では、30代前半で「営業部長」となり、在籍中に全国100店舗規模まで拡大しました。35歳の時に現職に転じました。現在は、ジブラルタ生命保険株式会社の営業所長として17名のメンバーをまとめています。

佐藤さんはスーツ販売から生命保険へ転じた。
転職して1年半営業職として働いたあと、すぐ所長になった。
前職時代は全国100店舗の営業責任者だった。
その地位を捨てて生命保険の世界に転じたのにはどんないきさつがあるのだろうか。

(佐藤さんが考える生命保険の価値については、前回のインタビュー記事「生命保険営業のプロが語る、「生命保険の真の価値」に関する1つの考え方」でご覧になれます。)

前職時代の仕事

11年間、紳士服販売のAOKIホールディングスで働いていた。
一部上場企業だ。
新店の仕事などをしていた。
入社5年ほどで、新規事業を拡大するメンバーに選ばれて転籍した。
28歳の時だった。

現場の仕事から始めて、2年半~3年後に営業の責任者になった。
転籍当時20店舗規模から始めて、在籍中に100店舗規模まで拡大する。

「全国に100店舗あるので、北は仙台・新潟から西は広島まで、飛び回ってなかなか家に帰らない生活でした。営業といっても実際には店舗の運営業務でした。年間のセール企画を作ったり、チラシやDMを企画してレスポンスをみたり。マーケティングに近いですね。また、新しい出店場所を検討する時は、データを見て決断して責任を持つという決済の役目でした」

佐藤さん写真

たったひとりのお兄さん

「2010年の年末に、兄が亡くなったんです。兄が35歳で、自分が33歳の時でした」
前日も普通に仕事をしていた。
夜はご家族と食事をしたそうだ。
翌朝起きたら冷たくなっていた。
くも膜下出血だった。
健康診断も引っかかったことがなく、本当の急死だった。

「その一報を聞いたとき、自分は一部上場企業の営業のトップで、兄は土木関係の仕事でした。自分の方がビジネスで成功していると思って天狗になっていました。でも、葬儀を見てみると、大勢の人が集まってくれているんですよね。その席で、兄が自分の得は関係なく人に色々なことをしていて、それを感謝されたんです。その話を聴いた時に、いま自分がやっている仕事は本当にこれでいいのか?本当に人の役に立つってこういうことなんだろうか?と思ったんです」

大事な人の死を通して感じたこと

亡くなって3か月ほどして、生命保険が支払われた。
2,000万円だった。

「2人兄弟の自分にとって大事な存在がいなくなって、それがお金に換わると感じました。それが2,000万?なんだかな…。そんな気持ちでした」
当たり前だったものが当たり前じゃなくなる。
いるはずのものが急にいなくなる。
「その時の気持ちは、なんと表現していいのか、という感じですが、ひとつ思ったのは、人って死ぬんだ、ということ。人の死というものが急に近くなりました」

時を同じくして、生命保険会社のスカウトが来る

「前職のホームページに自分のことが出ていたので、それで見つけて連絡してきたんだと思いますが、2,000万のことが気になっていたんで聞いてみようと思って、ヘッドハンティングの人と会ったんです」
保険金が入ってからわずか1ヶ月後の出来事だ。
すごいタイミングだ。

「兄が死んだんですが、保険金は2,000万。それってどうなんですか?」
率直に聞いた。
相手は、その当時新宿方面の営業所の所長をやっていた人物だ。

佐藤さん写真

「30代で家族を持っている人に何かがあった場合、保険は7,800万くらい必要。子どもを大学まで行かせて独立させて、結婚資金も出して、奥さんが平均寿命の87歳まで生きた生活費を入れた総額でそれくらい。9割の人が保険に入っているが保険金の平均は2,000万くらい。それだと遺された家族は必ず苦労する。それを変えたいんだ」
そんな返事が返ってきた。

「確かにそうだなと思いました。でもその時は”今の仕事に満足しているので転職は大丈夫です。今日は聞きたいことが聞けてよかったです。ありがとうございました”って言って終わったんです。そうしたら相手が、”それは別に良いんだけど、僕が君の人生だったら嫌だね”と捨て台詞みたいに言ったんです。腹は立ちましたが、今がんばるしかないからいいや、と思ってその日は終わりました」

1年前の一言で、1年越しに転職を決意

35歳までに転職したいと思っていた。
「30代前半で営業のトップなら、そこそこ市場価値がありそうだなと思って、エージェントをつけたりして転職活動をしました」

”僕が君の人生だったら嫌だね”と言われた面談からおよそ1年後のこと。
「あの一言が頭の片隅に残っていたんですよね。初対面なのにそんなことを言ってくる人ってすごいというのと、そこまで言うってことはそれだけの環境がそこにはあるんじゃないかと思ったんです。そこまでいうのはやっぱり興味がある。そう思いました」

それでも、自分で決めたいという気持ちがあった。
相手のペースでやった感じになるのは好かなかった。

結局、自分の決断で前職を辞め、それから1年ぶりに相手に会った。

佐藤さん写真

お兄さんに導かれた気がした転職

「”僕が君の人生だったら嫌だね”という捨て台詞が癪だったので、2回目に会った時に最後まで転職の意志があることを言わなかったんです。面接の最後に相手から”何かありますか?”と言われた時に、”1つ報告があります。会社に辞めるって伝えてきたので、ここでお願いします”と言いました。そうしたら、先方は仰天ですよね。”まだ内定も出してないのになんで辞めてきちゃったのー!”って。だから、”いえ、内定はもらえると思っているので。大丈夫です”って言いました」

そのあとはトントン拍子に進んだ。

「兄が生きているころから、人のために何かをやっていたから、この仕事をやれと言っているのかなとは考えました。もう、直感です」

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