大槻 雄一郎(おおつき ゆういちろう)さん
1975年生まれ。新卒で日本オラクル社に入社し、営業職として様々な経験を積みました。その後ベンチャー企業に参画し、営業統括として活躍しました。数年後に同社との契約を業務委託に切り替え、同社の業務のほか、営業のフリーランスとしても活動しました。2018年より自身が代表を務めるピープルアート株式会社の事業拡大に注力しています。
(IT大手のオラクル社からベンチャー企業まで渡り歩いた大槻さんの前回の記事はこちら)
初めての業務委託契約
マーズフラッグ社の事業を軌道に乗せながらも、「自分の次の在り方」を考え始めていた。
「自分のなかでもともと、20代、30代、40代…と大括りにしてキャリアを考えていました。20代は経験値を培う。30代はその経験値をもとにプロフェッショナルとして実績を出せるようにする。40代はそれを自分で責任を持ってやっていく。というようなことです」
30代の後半に、個人事業で働いている人から話を聴いたり、自分でも個人事業を回したりして、模索を始めた。
「誤解を恐れずにいうと、ベンチャーの給与体系だと、やはりある程度金額に限界があります。社内で特例みたいな制度を作ってもらうことも難しそう。そうだとしたときに、やったことの対価をきちんとした金額でもらおうとするならば、業務委託のような契約形態にすれば問題をクリアできます。営業職であれば”どれくらい稼働した” “どれくらい成果をあげた”という二軸で評価ができる。そういう話を理解してもらえて雇用から業務委託契約に切り替わったのが僕の独立の一歩目ですね」
既に7年間在籍していたマーズフラッグ社の仕事を8割、残り2割は様々な挑戦をした。
この形で3年ほど個人事業を行い、形になってくるものをいずれ自分の会社でやろうと考えていた。
「個人事業はあらゆる経営のエッセンスの塊ですね。きちんとやることをやれている人はやはり売れています」
今取り組んでいるのはビジネスのプロデュース
「2018年6月から4期目に入りました。4期目はチャレンジしようと決めていたので、2018年の年明けから、フリーランス営業職の動きから経営者としての動きにスイッチするべく、準備してきました」
今までは種を撒いてどういうものが育つかを見ていた。
ここからは、きちんと育てて回収しながらまた次の種を撒いて、何を事業プランにしていくかを精査する段階になる。
3年間かけて固めてきたものが一気に花開いているように見える。
「何かを売るということは買ってもらう人の価値創造をすることです。価値があるのか、どれくらいの値ごろ感なのかということについて自分のなかに仮説はあっても、その仮説が正しいのかは検証しないといけない。その検証のために仮説を持って行って直接フィードバックがもらえる先は用意できます。例えば、自分が顧問として入っている先の会社などがそういったものになります。仮説を持ち込む先のチームやサービスがいいなと思ったら、自分の時間やお金を注入してそこを盛り立てる。結果それが収益化すればチャンスになってくると考えるようになったんです。それらを事業化したりして育てるというのをやっています」
自分のやりたいことをワクワクしながら大槻さんは語る。
「でも、こういうことって、何をやっているのか分かりません、といつも言われます。何業と言えばいいのかいつも難しいです。唯一世の中に出てきている言葉で近しいイメージがあるのは”ビジネスプロデューサー”かなと思っています」
そういって大槻さんは笑った。
「仮説検証が細かい単位でできるので、単なるコンサルでは終わりません。試して、次のアクションを決めて、締切を決めて、というところまでいきます。ToDoを決めた時に一緒にやろうとしている人がやれるかやれないか、やれないならそれがスキル面なのかモチベーションなのか、というのも考えて、課題があれば解決することもします。やはりアクションを取ってやっているものは成功しています。アクションを取らなければ結果は出ないので、ある程度社会的意義があって、これはやるべきだというものについては、”時間があったらできるの?お金があったらできるの?お金だったらちょっと出そうか?どうやったら時間を作れるの?”といったところまで最近は踏み込んでいくようにしています」
機が熟したから軌道に乗った
「今は毎日が本当に楽しいと思えます。40歳を超えた大人が、遠足の前の日の子どもみたいなことを言って恥ずかしいですが、毎日ワクワクして眠れないんです」
そんなふうにいうくらい、本当に充実した日々を送っているそうだ。
「僕は自分のことをラッキーな人間だとは思っていますが、それを手にするための前活動をけっこうやっています。その種まきを3年やったことが、今ようやく形になっていると感じています」
人が善意を向けてくれることやチャンスをくれることが嬉しい。
上手くいかないことが起こると、うまくいっていることへの感謝が強くなる。
大槻さんは本当に楽しく毎日を過ごしている。
独立する前の心得
「効率的にできたかどうかという意味では、振り返って課題に思うことはいくつかありますが、やらなきゃ良かった、無駄だったという経験はないですね。やらなきゃわからないことだらけなので。だから、独立するなら、さっさと色んな失敗をした方が良いです。僕自身も、そんな失敗しなくていいという失敗をいっぱいして今があります」
失敗を失敗と捉えるか経験と捉えるかが、その後の長い職業人生を決めていく。
営業ができれば食いっぱぐれない
会社を離れて固定給の無い世界に行く際、収入に対する不安はなかったのだろうか。
「まったくなかったですね。営業して案件を取って来れれば食いっぱぐれないことは分かってましたから。仕事さえ取って来られればその中で生きていくことはできるんですが、意外とここが欠落してうまくいってないケースが世の中には多くあります」
事業計画をリアルに数字に落とし込む。
お客さんのペルソナを思い描く。
そのペルソナに合わせたものを提供する。
そこまでの仮説検証を早く回せれば、早い段階で何かしら結果が出る。
「売れるものは売れるし、課題があるものは課題が見えてくる。その課題解決をどういうスピード感、どういうクオリティでやるかによって仕事のポテンシャルが見えてきます」
これからのこと
「3年間個人事業主をやってきて、今は経営者になりました。事業計画を立てて、資金調達をして、体制を作るというところを今やっています。何人かメンバーもジョインしてくれているので、彼らとどう成長していけるか、売上目標を立ててそれをあげていくというのは当然なんですが、そこに関わってくれる人たちが単に働いてお金をもらうというよりは、やりたいことをやってチャレンジして成長しながらお金ももらえるという環境を作れるかっていうのがこの1年の勝負どころです」
そこを土台にして、数年後はスケールさせていきたいという。
ただ、大きくすることが目的ではない。
大きくなることで影響力が広がって世の中をよくできるということを考えている。
「それともうひとつ。自分がいずれ50代になることも見据えた中長期的な展望の中で、今度は地域貢献や10年後20年後の子どもたちにとっての環境づくりというものをやれたら面白いかなと。事業性があるかどうかはどちらでもいいですが、地域というものに目を向けたことを10年後からやっていくようなビジョンは一応持っています」
これから独立を考えている方へ
「独立というのはシンプルだけど大事な話だなと思います。人間は赤ちゃんで生まれて親や色んな環境によって育てられて独り立ちしていくわけですが、それと同様にまずはちゃんと自分で立てる状況を作ることが大人としての使命だと思うんです。その次に自分で立てる人を増やしていく。自分の責任で色んなことをできる人たちが増えれば世の中よくなるじゃないですか。そういうサイクルが生まれると思うので、まずは独立する。形態は何でもいいから。その時にテクニック的に大事だと思うことはいくつかあって、仮説検証とキャッシュフローですね。何かの拠り所になるのはデータなことも多いです。だから、売り物は何でもいいし値段もいくらでもいいから売ってみる。それを買ってもらう行為には何かしら意味があって、人の役に立っていれば必ず何かは返ってくるので、そこのメカニズムが分かってくると良いと思います。ただし、キャッシュフローが悪くなるとそういった余裕やバランス感が崩れて健全じゃなくなるので、きちんとキャッシュフローはみておいて、入ってくるものと出ていくものをコントロールする。少なくとも出ていくものは自分でコントロールできるはず。入ってくるものを定期的に入れていく設計をきちんとしていたほうがいい。ここはひたすらロジカルです。まずは何かをやってみる。色んな壁に当たると思う。その時に逃げないで立ち向かう。そういうところで人として成長すると信頼が生まれて色んな事ができるようになって色んな人に影響を与えられるようになって収益もついてくると思います」
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